震災から11年

今さらなんですけどねw
つか、普段はこの手の話はキライなんですがw


もちろん、天災の教訓を風化させないことは大切だし、
被災されて物質的にも精神的にもその痛手から
立ち直れていない方もまだ残っているであろうことはわかってます。
でも、そんなに大きな痛手も負わず、立ち直れてる人間の中に
震災のことを笠に着て図々しい振る舞いをする人間もいるでしょうw
なのであんまりこの話は嫌なんですがねw


でも、今年は曜日の巡りがあの年と同じだったんで不意に思い出し
ちょっと感傷に浸ってしまいました。


ちょうど高校3年生。僕がまだ細かった頃です。
大きな揺れで目が覚めました。
幸いにも僕の住んでいるあたりは震度こそ4でよく揺れたけど被害はなし。


でも、テレビをつけると火の海、瓦礫の山といった神戸の無惨な光景が・・・。
たった2日前に受けたセンター試験
会場が神大だったんで利用した六甲道駅がぺしゃんこ・・・。
ショックを受けたし、たったの2日違いのことで命が助かったと思ったし、
神戸の人たちが心配になったし、
進学後の住まいがあるのか不安にもなったし・・・。
あんなに複雑な気持ちになった朝は人生で他にない気がします。


入試当日、体育館が避難所になっていた大学の中庭に
無造作に転がってた救援物資のコンテナ。


親戚の厚意で下宿先を確保できたけど、
他大学の目の前って立地だったんで合格発表当日に入居手続きしなきゃ
そっちの大学の人に入居の権利渡すって言われ
高校の合格実績っていう義理だけのために受けたC日程の翌日に
大学まで発表見に行ったなぁ。
C日程の受験が終わって、なんとか無事だった親戚の家に泊めてもらうのに
歩いた神戸の街に漂ってた埃と
目に焼きついたまだ片付ききらない瓦礫、屋根のブルーシート。


念願かなって志望校に進学して、野球部に入ったけど、
グラウンドの半分を仮設住宅用地にとられて思うように練習できなかった。


友人・先輩・後輩・先生・バイト先の店長やお客さん
色んな人から色んな話も聞きました。


自分が被害を被ってはいなくても、たくさんのことを思い出します。


そんな忌まわしい曜日の巡りだった今年、
あの年と違ったのは、16日が休日でなかったことと、
センター試験が翌週だったこと。


こんな言い方ってないかもしれないけど、
センターの実施週が違ったことを思わず感謝してしまいました。
自分の教え子、後輩、知人以外にも
全国で進学を志す高3生・浪人生は星の数ほどいます。
彼らには自分が感じた学業以外のどうしようもない不安を
もっといえば、志半ばで散った当時の見知らぬ同志たちの無念さを
味わわせずに済むな・・・。
偶然の暦の巡りなのになぜかそんなことを思ってしまいました。


11年の歳月が過ぎましたが、罪のない御霊の安らかなることを。
また、あのような地獄の2度と訪れぬことを。
そして、我々の備えも万全であることを。